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2011年7月

2011年7月22日 (金)

2011.07.22

7月22日の作品

<作品>

英語圏の有力紙やテレビ局を抱えるルパート・マードック氏(80)。その名が日本で大きく報じられたのは15年前、ソフトバンクの孫正義氏と組んでテレビ朝日株の2割強を握った時だ。わがメディア界は、黒船襲来と大騒ぎになった▼くだんの株を買い取った朝日新聞の社長(当時)が、マードック氏の印象を語っている。「孫氏への説得の仕方を観察するに、大先輩がやんちゃな後輩を温かく見守っている感じだった」。無論、氏のビジネスは温かさと無縁である▼そのメディア王が窮地にある。傘下の英大衆紙が、事件の被害者ら多数を盗聴した疑いが深まったためだ。元幹部たちが捕まり、168年の歴史と265万の部数を誇る同紙は廃刊。攻守所を変えて叩(たた)かれている▼ことは老メディア王の落日にとどまらない。警察や政界との癒着が露見、ロンドン警視庁トップが辞任した。逮捕された元編集長を重用し、マードック氏や側近と親密だったキャメロン首相は釈明の日々だ▼この大衆紙の「盗聴癖」は知られていたが、警察は深追いせず、政治家は仕返しを恐れた。だが、盗聴先が一般人を含む4千人とされては空気も変わる。組織的な「のぞき見」取材、ゆがんだ商業主義に、国民と同業者の怒りは大きい▼強大なメディアほど、自らの不祥事に弱い。恥ずべきニュースを、ぎこちなく伝えるのみだ。大衆の興味を糧に築いたメディア帝国が、醜聞の海でもがいている。希代の「情報使い」が、商品に逆襲される図である

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2011年7月19日 (火)

2011.07.19

7月19日の作品

<作品>

「最後まであきらめない」。祝日の早朝、そんなメッセージがフランクフルトから届いた。サッカーの女子ワールドカップ決勝。なでしこジャパンは米国に2度追いつき、PK戦を制した。今の日本にすれば、あらゆる政治の言葉より意味がある世界一だ▼押しに押され、ゴール枠の「好守備」に再三救われた。しかし残り3分、頼れる沢主将がすべてを元に戻した。宮間選手のコーナーキックに飛び込み、示し合わせたような右足一発。居合抜きを思わせる美技だった▼この同点弾で、なでしこの至宝は大会の得点女王と最優秀選手に。前言通り「人生最高の試合」にしてみせた。仲間の粘りを勝利につなげた守護神、海堀選手の神業にもしびれた▼米国の女子サッカーは国技に近い存在らしい。女の子の3割が習い事でたしなみ、人気選手はCMにも出る。「女子は男女同権の国ほど強い」(W杯米国大会プログラム)。そうした誇りと期待を、代表の面々は担う▼かたや日本は、代表チームができて30年。ルールは男女同一に、競技人口は10倍以上になったが、主力選手の多くが働きながら練習している。凱旋(がいせん)の旅もエコノミークラスと聞いた。世界一の次は実力にふさわしい環境だろう▼早起きを3回しただけの素人にも魅力は分かる。俺が俺がのプレー、汚い反則や抗議がなく、ボール回しを楽しめた。なでしこは国を励まし、世界を驚かせ、この団体球技の面白さを教えてくれた。雑草の根っこを持つ大輪たちに感謝したい

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2011年7月18日 (月)

2011.07.18

<7月18日の作品>

きょうは海の日。太平洋に臨む紀伊半島の町に生まれ育った佐藤春夫に「海の若者」という詩がある。〈若者は海で生まれた。/風を孕(はら)んだ帆の乳房で育った。/すばらしく巨(おお)きくなった。/或日(あるひ) 海へ出て/彼は もう 帰らない。〉▼〈もしかするとあのどっしりした足どりで/海へ大股に歩み込んだのだ。/とり残された者どもは/泣いて小さな墓をたてた。〉。これが全文の短い詩だ。何かの伝説をうたったのか、それとも水難の若人への鎮魂だろうか。海の豊饒(ほうじょう)と非情への想像を、胸の内にかき立てる▼終わりの2行が、海の大きさと人間の小ささを際立たせる。今回の津波の被災地で、墓石に「三月十一日」の日付を繰り返し彫る石材店主の胸中を記事が伝えていた。2万という命を、海は連れ去って返さない▼人々の思いは千々に乱れる。「海を恨んでいる人は一人もいない。これからも海と共に生きていきたい」と言う人がいる。片や「返せって海に言わないと気が済まない」と泣く人がいる▼「海を恨む気持ちはあるが恩恵も受けてきた。バカヤローと叫んだら、これで終わりにする」「どうなるかわからないけどさ、海さえあれば、何とかできる。海を相手に食ってきたんだもの。漁師は、大丈夫なんだよ」。万の人の心に万の海がある▼あの日、突然猛(たけ)った水平線。狂った水の雄叫(おたけ)び。「母なる海」という賛歌は失せ、まだ涙で海と和解できない方も多くおられよう。潮風に顔を上げる日を、願わずにいられない。

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2011年7月 8日 (金)

2011.07.08

<7月8日の作品>

「サクラ」の語源ははっきりしないらしい。春に咲くサクラではない。客を装って品物をほめたり、高く買ったりして購買心をあおるサクラのことだ。露天商の隠語から広まったらしいと手元の辞典にはある▼さて、電力会社にはどんな隠語があるのだろう。玄海原発の運転再開をめぐる県民向け説明会に絡み、九州電力の幹部が再開賛成の「サクラメール」を送るよう子会社などに指示していたことが露見した。会社思いの幹部の「単独犯行」と思う人は、まずいまい▼企業の「文化」か、あうんの呼吸の上意下達か。社長の謝罪会見も奇態だった。「責任は私に」と言いつつ、関与を聞かれるとはぐらかした。押し問答が続き、途中でメモを渡されて「指示はしていません」。虚実と損得を天秤(てんびん)に掛けたのが丸見えだ▼ものごとの倒錯を表すのに、足を削って靴に合わせる愚の例えがある。原発は事実を曲げ、真実を隠して「神話」という靴をはいてきた。そのうえ世論をゆがめる企てときては、欺瞞(ぎまん)はいよいよ深い▼原発の怖さは放射能だけではない。反原発を貫いた故高木仁三郎氏の一冊から拝借すれば、こういうことだ。〈ひとつの原発の建設は、その他の選択肢をすべて圧殺してしまう。巨大な資本が投入され、地域経済も支配される。巨大権力集中型のエネルギー社会を否応(いやおう)なしに生み出していく〉▼聞けば海江田経産相も辞意を固めたそうだ。地震列島にこの政治、この電力会社。信ずべきものがいよいよ見つからない。

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