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2012年6月

2012年6月29日 (金)

2012.6.29

6月29日の作品

<作品>

今年の日本ダービーを走った18頭のうち、優勝馬を含む7頭がディープインパクトの子だった。名馬2世の活躍に思うのは血統の底力だ。ひたすら速さを追求して300年、サラブレッドの品種改良はすでに芸術の域とされる▼愛玩用の小型犬など、人の都合で細工された生き物は多い。こんどは、飛ばないテントウムシだという。野菜につくアブラムシをとことん食べさせる作戦である。もぞもぞ群れるだけのアブラムシ、天敵に腰を据えられてはお手上げだろう▼害虫退治に天敵を使う「生物農薬」の発想は前からある。ただ、肝心の益虫が作物に居ついてくれないと始まらない。テントウムシも、移動させない工夫が必要だった▼近畿中国四国農業研究センター(広島県福山市)などは、ナミテントウという種類から飛ぶ力の弱い個体を選び、交配を続けた。30代目あたりで、どれもトコトコ歩くだけになったという。試しに畑やハウス内に放つと、アブラムシの増殖が抑えられた▼飛ばない性質は子に継がれる。幼虫も大食らいで、代々「住み込み」で働いてもらえば効果は大きい。ごく狭い土地で生を終えるため、生態系への影響も限られるという。農家には朗報、駆除される側にはとんだ発明である▼だがどんな生物も、進化という自前の品種改良を重ね、しぶとく生き残ってきた。なにせアリを用心棒に雇うほどの知恵者である。恐ろしさを増した天敵に食われ続けるうちに、畑のアブラムシには羽が生えるかもしれない


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2012年6月28日 (木)

2012.6.28

6月28日の作品

<作品>

柔らかい人が堅い職を選ぶ。ままある話だが、これだけの肩書を連ねてなお、柔らかさを保てた人は少ないだろう。刑事法学の大家で、最高裁判事や宮内庁参与を務めた団藤重光(だんどう・しげみつ)さんが98歳で亡くなった▼戦中、学者の一人として東条首相に招かれ、官邸で中華料理を供されたことなど、長い職歴を語る逸話は多い。刑事訴訟法の生みの親でもある。東大の教え子だった三島由紀夫は、刑訴法の「整然たる冷たい論理構成」に魅せられ、「小説や戯曲のお手本に思われた」と記している▼満天の星を仰ぎ、地球と己の小ささに絶望したのは10代の頃。いかついお名前と経歴からは想像しがたいが、その繊細さが後のリベラル志向、皇族方にも好まれた温厚ぶりにつながるのだろう▼教授から判事になり、殺人事件の死刑判決に関わった時だ。退廷時、傍聴席から「人殺し!」の罵声を浴びた。被告は犯行を否認していた。「一抹の不安があったから、こたえました」▼自ら起案した刑訴法によれば、例えば重大な事実誤認がないと原判決は覆せない。されど裁判官も人間、誤りもある。学者ではそれが見えなかったという。死刑廃止論に転じてからは「戦争がいけないのと同じ」と譲らず、卒寿を超えても訴え続けた▼あすの葬儀は、最高裁や皇居にもほど近い聖イグナチオ教会で営まれる。刑死者の中にも、悔い改めて天に召された者がいるはずだ。古来、冤罪(えんざい)による非業の死もあろう。梅雨空の上で、各様の思いが先生の到着を待つ。


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2012年6月26日 (火)

2012.6.26

6月26日の作品

<作品>

せっかちな人ほど心臓を患いやすい。半世紀前、米国の心臓内科医フリードマンが病院での観察をもとに唱えた説だ。外来待合室の椅子は、なぜか座面の前端ばかりすり切れる。患者の様子を探ると、名を呼ばれたらすぐ立てるよう、みんな浅く腰かけていたという▼政治家の心臓は総じて毛深いが、民主党の衆院議員は心痛しきりだろう。消費増税に政治生命を賭した野田首相と、異を唱える小沢元代表の攻防が佳境を迎えた。去就を決めかねた議員は、後援者や同僚の言に迷い、椅子から腰を浮かせる▼首相は国会で、増税法案への賛成には党議拘束がかかると明言した。きょうの採決で従わなければ党則違反だ。まともな政党なら、除籍を含む重い処分に値しよう▼ところが、輿石幹事長は甘く見過ごす風でもある。だから鳩山元首相のように、反対でも離党はしないと言い放つのんきな人が出る。この党で衆院議員を務めた精神科医、水島広子さんが著書で見抜いた通り、政治家とは自己愛にあふれた人たちなのだ▼我こそは重要な人間という彼らの思いは、政変の足音に燃え上がる。小沢グループなどの若手はすでに、次の選挙をいかに戦うかで頭がいっぱいだろう。政策は政局の後景へと退いてゆく▼小沢氏は、離党して増税反対を掲げれば戦えると鼓舞したに違いない。今日(こんにち)の激動に備えて手勢を養ってきた氏も、いよいよ最後の戦(いくさ)である。せっかちに壊して回るエネルギーの出どころは、憂国の情か、並外れた自己愛か


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2012年6月24日 (日)

2012.6.24

6月24日の作品

<作品>

モリアオガエルは樹木に泡のような卵塊を産みつける。繁殖地として国の天然記念物に指定されている福島県川内村の平伏(へぶす)沼で、産卵が最盛期を迎えたそうだ。原発禍で避難を強いられた村は、カエルにちなんだ「かえる かわうち」を合言葉に帰村と復興をめざしている▼カラララ・カラララ・クックックッとモリアオガエルは鳴くという。カエル族の鳴き声は擬音が多彩で、たとえば詩人の三好達治は「けりけり」と表した。これは春の初蛙(はつかわず)。同じく那珂太郎氏は夏の合唱を「ぎよぎよ」。俳人臼田亜浪(あろう)に〈けくけく蛙かろかろ蛙夜一夜〉の句がある▼そして「蛙(かえる)の詩人」の草野心平。「けくっくけくっく」と鳴くかと思うと「ぐりけっぷぐりけっぷ」と鳴いて奔放自在だ。川内村を愛し、名誉村民でもあった心平さんに「婆さん蛙ミミミの挨拶(あいさつ)」という短詩があったのを思い出す▼〈地球さま。/永(なが)いことお世話さまでした。/さやうならで御座(ござ)います。/ありがたう御座いました。/さやうならで御座います。/さやうなら。〉▼この世の去りぎわ、命をもらって生かされた天地(あめつち)への、老蛙の素朴な感謝が人間にはこたえる。身一つで命を全うする他の生き物と違い、収奪し、汚染し、破壊して鬼っ子さながら。ひとり人間だけが「直し方の分からないものを壊し続け」ている▼「持続可能」の一語を、リオ+20の会議後も胸に刻みたい。「万物の霊長」と自尊しての勝手放題、そろそろ真に目覚めねば、蛙に合わせる顔もない


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2012年6月23日 (土)

2012.6.23

6月23日の作品

<作品>

鳥の飛翔(ひしょう)力は想像を絶する。カモメの仲間なのに水が苦手なセグロアジサシ。繁殖地の孤島を巣立ったが最後、長じて戻るまでの3~4年は、ほとんど海の上を舞い続けるそうだ。水面すれすれで魚を捕らえ、眠るのも飛びながらというから驚く▼水辺にいるタカの一種、ミサゴも漁の名手だ。獲物を見つけるとヘリコプターのように空中にとどまり、狙いを定めて急降下する。緩急自在の曲芸飛行、英名をオスプレイという▼同じ名を持つ米軍機の話題が、バタバタと騒がしい。海兵隊などの輸送を担う怪鳥は、主翼の両端に角度が変わる回転翼を備え、ヘリのような離着陸と、飛行機なみの高速移動が可能。沖縄の普天間飛行場に配備される計画で、本土での訓練も見込まれる▼沖縄の反発は激しい。なにせ試作段階から墜落が続き、今年もモロッコと米国で落ちた機種である。市街地に接し、すでに世界一危険とされる普天間への飛来は、地元の感情を逆なでしよう▼今年も沖縄慰霊の日を迎えた。復帰40年にして、基地の中に島があると言われる現実は動かない。オスプレイもそうだが、県民の平穏と安全を犠牲に、日米関係や極東情勢を重んじる国策がまかり通ってきた▼小欄、軽々しくタカよりハトが好きとは言わない。安全保障には冷徹な戦略が必要だろう。だが、ここまで歪(ゆが)んだ負担を見過ごせようか。一つの地域、それも平和の聖地であるべき島を震わす羽音は、もうたくさんだ。「ひめゆり」たちも眠るに眠れまい。

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2012年6月22日 (金)

2012.6.22

6月22日の作品

<作品>

「結果的に甘さがあったと言わざるを得ない」。甘かったと素直に言えないのはなぜか。後ろめたい点があると、人は持って回った言い方になるものだ。意のままに使ったつもりの言葉に、本音が透ける▼福島第一原発の事故で、東京電力が最終報告書をまとめた。想定の甘さは認めたが、それを超す津波が原因だと、またぞろ被害者のような筆致である。他方、当時の首相官邸の介入を「無用の混乱を助長させた」と腐した▼「天災が起こし、思わぬ爆発が広げ、怒りっぽい首相がこじらせた悲劇」とでも総括したいらしい。誰よりも事故の近くにいた東電である。真実に迫れるはずなのに自己弁護に熱心なのは、被告人の陳述と思えば合点がいく▼会社は被災者に、役員陣は株主から訴えられている。「正直」すぎては裁判に障るし、下手に責任を認めると税金で助けてもらえないとの腹だろう。被災地の首長は「誠実さや謙虚さがない」「住民への侮辱」と容赦ない▼先日、わが家にも東電から「料金値上げのお願い」が届いた。7月から平均10%強の申請である。家庭向けの販売は全体の4割だが、利益では9割を稼ぎ出すおいしい部門なのだ▼値上げの計算には、止まっている福島第二原発などの維持費、年900億円を含めているという。事故の責任から逃れたうえに、くらしを根こそぎ奪った地でまた原発を動かすつもりなら神経を疑う。ますます離れる世論が見えるだけに、命がけで現場を守る人々が気の毒でならない


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2012年6月20日 (水)

2012.6.20

6月20日の作品

<作品>

「ひとだすけ」の言葉を知っていたろうか。思わぬ事故で横たわる小さな体から、温かい臓器が摘出された。他の命を救う大仕事を終えたその顔に、父母は涙をためて、穏やかな笑みを投げかけたそうだ▼富山大学付属病院で6歳に満たぬ男児が脳死となり、移植のために臓器が供された。この年齢の子どもからは国内初の提供だ。心臓と肝臓はそれぞれ10歳未満の女児2人に移植された▼若い脳は回復力が強く、脳死の判定は慎重を要する。虐待の跡がないのを確かめ、最初の判定から丸一日あけて再判定する。幼児間の臓器移植が日本でも定着すれば、費用や体力面で負担が大きい「渡航移植」に頼らずにすむ。悲嘆の底で重い決断をしたご両親は「息子を誇りに思う」と記した▼男の子は、同世代の女児の体内で「生き」続ける。臓器を取り換えた彼女たちは、やがて恋をし、母にもなろう。人生の山谷(やまたに)が続く限り、坊やはその営みを、裏方で支えることになる▼「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。今日と明日は、突然並んでいるのでした。だから明日の無い時もあるのです」。飛行機事故で亡くなった坂本九さんに、永六輔さんが手向けた言葉だ▼偶然並んだ毎日には、不慮の悲しみも突然の幸(さち)もある。気まぐれに置かれた飛び石を曲芸のように渡り、命は明日へとつながる。わんぱく盛りの心臓と、汚れなき肝臓をもらい、少女たちは未来に歩み出した。会ったことも会うこともない恩人と、二人三脚の日々が待つ


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2012年6月19日 (火)

2012.6.19

6月19日の作品

<作品>

文字は書くより打つものとなり、ペンダコは死語になりつつある。それでも職業ダコは「その道一筋」の勲章である。右利きのバーテンダーなら、シェーカーを支える右手小指が硬くなると聞いた。修業中は何度も皮がむける▼野田首相の右手にタコがあるなら、なりふり構わず消費増税のドアを叩(たた)き続けた証しである。最後は扉をこじ開けんと自民、公明両党に譲歩を重ね、一体改革の修正合意を得た。民主党のマニフェストは見る影もない▼メキシコに赴いた首相は、国際会議に集中する心身ではなかろう。丸のみを迫られたのどは腫れ、看板政策を棚に上げた腕は痛み、すり寄りすぎた足がつる。政局の疲れをテキーラの一杯で癒やし、帰国後の政治決戦に備えている時分か▼党内には「増税談合」「自殺行為」といった批判が渦巻き、小沢グループなどの議員は造反を公言している。衆院で採決に持ち込めば党分裂、先送りなら政権立ち枯れのピンチとなる▼時の首相が野党と組んで、自党の仲間とやり合う。長い憲政でも珍事に違いない。もはや政党の体(てい)をなさず、取り繕う策も尽きた民主党は、割れるなら早いほうがいい。政治家個々の責任が問われる時局である▼責任と酒の重さを受け止めるバーテンの手は、もろもろを混ぜ合わせて未知の味を生む。この日本、政界再編のカクテルに酔う暇(いとま)はないのだが、それなしには前に進まない。消費増税に白黒をつけたら、「この指とまれ」をやり直し、政治の厚い皮をむく時だ。

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2012年6月18日 (月)

2012.6.18

6月18日の作品

<作品>

スウェーデンのストックホルムで開かれた100年前の五輪に日本は初参加した。マラソンの金栗四三は疲労困憊(こんぱい)して途中で倒れ、民家で介抱されるうちに行方不明扱いになった。時は流れて、当地の五輪委は55年目の祝賀行事に金栗を招く▼スタジアムでテープを切ると、「日本の金栗、ただいまゴールイン、タイムは54年と8カ月6日5時間32分20秒3。これをもって大会の全日程を終了します」とアナウンスが流れたそうだ。こんな話は理屈なしに頬がゆるむ▼さて、1991年のノーベル平和賞授賞式も、一昨日ようやく全式典を終えたことになろうか。自宅軟禁で出席できなかったミャンマーのアウンサンスーチー氏(66)が、21年の後にノルウェーで受賞演説に立った▼2年前には想像もできなかった軍政国家の変容である。スピーチで、平和をめざす人々を「救いの星に導かれる砂漠の旅人」と語った。砂漠に例えたのは、一歩一歩を黙々と歩むイメージだろうか。話し終えると拍手が鳴りやまなかったそうだ▼ノーベル平和賞は栄誉ながら悲痛を伴う。戦乱が激しく、虐げられた人が多いほど注目され、輝きを増す。氏の背後には恐怖で支配される民衆がいた。本人も万感胸に迫る演説だったろう▼金栗に話を戻せば、粋なはからいに「長い道中の間に孫が10人できました」と応えたそうだ。片やスーチー氏は英国人の夫を看取(みと)ることもできず喪(うしな)った。夫君が眠り、平和の祭典五輪の近づく英国を、このあと訪ねるという

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2012年6月17日 (日)

2012.6.17

6月17日の作品

<作品>

占領時代に別れを告げる講和条約が結ばれた1951(昭和26)年、「逆コース」という言葉が流行語になった。東西冷戦を背景に、なし崩し的に再軍備が進められ、復古調の空気が世間に流布した。言葉には、「この道はいつか来た道」の意味合いがあったという▼時代も、起きている事も異なるが、大飯原発の再稼働に、古い言葉が思い浮かぶ。歌舞伎の舞台を見るような型通りの儀式をこなして、政府はきのう「最終判断」を下した▼つまり「安全神話」への逆コースに他ならない。都合の悪いことは知らんぷりで、体裁の整う事柄だけを甘くつないで「安全」をうたう。うそで化粧してきた産官学とは違い、だまされた側は忘れようもない▼繰り返しになるが、原発を知らなかったこと、知ろうとしなかったことを、大勢の人が誠実に悔いている。その上での脱原発依存の潮流を、「精神論」だと野田首相が言うのもいただけない。政と官の本性が、言葉の端からのぞいていないか▼「喧嘩(けんか)は片方にしか非がなければ長く続かない」という。喧嘩ではないが、国論を二分するようなテーマは双方に是と非が相混じるものだ。だが原発の場合、将来には無くす方向でおおむね意見は一致する。その中長期ビジョンさえ示さないままの再稼働は、国民への誠実を欠く▼とにかく、なし崩しは許されない。安全を言い張る稼働こそが、むしろ精神論だろう。それは自信から過信に姿を変えて、遠からず「いつか来た道」をたどり始める

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2012年6月14日 (木)

2012.6.14

6月14日の作品

<作品>

男の子はたいてい乗り物が好きだ。昭和の昔から人気があるのは「はたらく車」である。消防車や清掃車、ブルドーザーにフォークリフト。ただ、働くからといってすべてが正義の味方とは限らない▼昨夏のこと、中国から北朝鮮に軍用の大型特殊車両4台がこっそり輸出された。春の軍事パレードで「新型弾道ミサイル」を背負った、あの16輪車だ。「動く発射台」の輸出は、北朝鮮に軍用物資を送らないと決めた国連安保理決議に背く▼この車を運んだ船が後日大阪に寄港した折、立ち入り検査で輸出目録という動かぬ証拠が見つかり、米国と韓国に通報された。米に内々に問われた中国は輸出を認めた上で、「伐採した大木を運ぶための車」と強弁したそうだ▼〈名月をとってくれろと泣く子かな〉一茶。北朝鮮と中国の縁は、だだっ子におもちゃを買い与える親に似る。甘やかした子がだめになるのは世の常、気の利いたご近所なら親をやんわり諭すのが道だろう▼ところが、日米韓は国連決議違反の公表を控えた。中国は北朝鮮の暴発を抑えている、いたずらに追い詰めたくないという米政府の意向らしい。一時(いっとき)でも非行が収まるなら、おもちゃの一つや二つと。北朝鮮はしかし、よからぬ仲間に火遊びの道具を広めている、とも伝えられる▼「はたらく車」も、使いようで破壊と人殺しの機械に化ける。ミサイルという大木を運ぶモンスターが裏道をすり抜ける不気味、捨て置けない。国際社会は「親」に直言する時である


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2012年6月13日 (水)

2012.6.13

6月13日の作品

<作品>

大相撲の八百長問題で忘れがたい怪文がある。〈立ち合いは強く当たって流れでお願いします〉。星を買った力士から対戦相手への携帯メールだ。勝敗に至る攻防がわざとらしくならないように、との念押しだろう▼大飯(おおい)原発が「流れ」で動き出そうとしている。福井県知事の求めで野田首相が地元に感謝し、再稼働の決意を表明、それではと地元が同意に動く。安全に関わる吟味が、儀式のごとく運ぶさまに違和感を覚える▼知事には供給基地の意地もあろうが、思わず先のメールに返信された〈少しは踏ん張るよ〉が浮かぶ。先々のエネルギー事情を決する国策の土俵で、ガチンコ勝負どころか、下手な社交ダンスを見せられていないか▼首相は、国民生活を守るんだと胸を張る。停電や値上げは嫌でしょう、と。とはいえ、事故の原因も特定されていないのに、福島級の天災にも耐えられるとする不可解。国が本音で守りたいのは、コスト増にあえぐ電力業界らしい▼国会の事故調査委員会は、当時の政府の対応を痛罵(つうば)した。すっかり悪者にされた菅前首相は、脱原発の急先鋒(きゅうせんぽう)でもある。原子力ムラの巻き返しか、はたまた「ムラ役場」たる経産省あたりの筋書きなのか、ともあれ夏の足音とともに安全神話への逆走が急だ▼あまたの土地と暮らしを奪い、麗しき郷土を汚した事故から1年余り。あれは想定を超えた津波と浅はかな為政者の合作、ということで一件落着しかねない。「流れ」に身を任せたまま、なんにも学ばずに


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2012年6月10日 (日)

2012.6.10

6月10日の作品


<作品>

自省めくが、新聞やテレビの記者はついついニュースに追われがちだ。ジャーナリズム本来の「追う仕事」に忠実なのは、フリーを主とする報道カメラマンだろうか。名声と正義、生活のために、彼らは体を張る▼去年、世界の報道写真家は「春」を追い続けた。早春の大震災に、中東で広がる民主化運動「アラブの春」である。東京都写真美術館で恒例の世界報道写真展を見た(8月5日まで)▼イエメンのモスク。反政府デモで催涙ガスを浴びた18歳の青年を、黒ずくめの母親が介抱している。ミケランジェロのピエタ像、イエスの亡骸(なきがら)を抱く聖母マリアを思う。母子の愛に、キリスト教もイスラム教もない。偏見を突く作品と評価され、大賞に輝いた▼チュニジア、エジプト、リビアと春は巡り、長期独裁は崩れた。昨秋、市場の冷蔵室に横たわるカダフィ大佐の遺体をとらえたのはフランスのレミ・オシュリク氏だ。氏は4カ月後、転戦先のシリアで政府軍の砲撃に散った。28歳だった▼シリアでは、遅い春を待ちわびる民衆への弾圧、虐殺がやまない。銃弾をかいくぐるレンズは、写真展の審査委員長エイダン・サリバン氏(英国)の言葉を借りるなら、「暗闇の中の私たちの目」である▼闇の実相を命がけで伝える目があって、惨めに転がる子どもや女性は「物言う遺体」となる。国際世論を恐れて、独裁者は薄汚れた手でその目を塞ぎたがるが、勝負は見えている。人々の勇気に携帯カメラなども加勢し、目は無数なのだ

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