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2012年10月

2012年10月30日 (火)

2012.10.30

10月30日の作品

<作品>

2年前の夏、参院選で自民党が勝って与野党の勢力が逆転したとき、小欄でこんな言葉を引用した。「もっともよい復讐(ふくしゅう)の方法は自分まで同じような行為をしないことだ」。古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスの金言である▼その3年前の参院選では、自公が大敗して過半数を割った。民主党はここぞとばかり、参院で首相の問責決議を連打して政権を揺さぶった。ついに自民は下野の涙をのむ。恨みつらみは分からなくもない▼しかし立場が変わり、やられたらやりかえせと意趣返しに走るなら、幼いけんかと変わらない。ここは器の大きさを見せてほしい。そんな意味合いの引用だった。ところが首相や閣僚の問責は繰り返され、きのう参院は野田首相に所信表明すらさせなかった▼史上初のことといい、演説に対する本会議での代表質問もない。なのに委員会の審議には応じるそうだ。玄関は閉めて勝手口から入れる――首相のメンツをつぶしたつもりで、参院の存在を自ら貶(おとし)めていないか▼これが前例になれば、参院には玄関など不要ということになる。その先は参院不要論だろう。当選後は6年間保証される身分が「良識」につながらず、解散のない安全地帯で政争にかまけては、世間の風は冷ややかになる▼もっとも今は政権に吹く風の方がよほど冷たい。野田首相もそろそろ通知表を国民からもらう覚悟がいる。潔さは、政治家の器を測る大事な物差しだ。政権に恋々とした目では、国の針路もよくは見えまい


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2012年10月27日 (土)

2012.10.27

10月27日の作品

<作品>

甘党から悪党まで、党のつく言葉は多い。政党名に至っては増える一方だ。自由民主党、公明党、日本共産党などの老舗は辞書にもあるが、多くは載る間もなく消えていく▼国政に戻る石原慎太郎氏の新党は、「党」ぬきの凝った名前になるのだろうか。なにせ母体となる「たちあがれ日本」の命名者である。氏が閣下と尊ばれるネット上では、「石原軍団」「大日本帝国党」と党名談議がにぎやかだ▼80にして起(た)つ。「なんで俺がこんなことやらなくちゃいけないんだよ。若い奴(やつ)しっかりしろよ」。脚光が嫌いなはずもなく、うれしそうに怒る記者会見となった。心はとうに都政を離れ、「やり残したこと」に飛ぶ▼霞が関との闘いはともかく、憲法の破棄、核武装、徴兵制といった超タカ派の持論を、新党にどこまで持ち込むのか。抜き身のままでは、氏が秋波を送る日本維新の会も引くだろう。保守勢力の結集は、深さ広さの案配が難しい▼政界は再編の途上にある。旧来の価値観や秩序を重んじる保守と、個々の自由に軸足を置くリベラル。競争と自立を促す小さな政府と、弱者に優しい大きな政府。乱雑なおもちゃ箱のように、二大政党にはすべての主張が混在する▼安倍さん率いる自民党など保守の品ぞろえに比べ、反対側、とりわけ「リベラル×小さな政府」の選択肢が寂しい。今から再編の荒海に漕(こ)ぎ出すなら、この方位も狙い目だ。もとは「泥船」からの脱出ボートでも、針路を問わず、漕ぎ手しだいで船の名が残る


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2012年10月26日 (金)

2012.10.26

10月26日の作品

<作品>

華が足りないのか、新聞記者が主役の活劇は少ない。ささやかな誇りはアメリカンヒーローの重鎮、スーパーマンである。仮の姿のクラーク・ケントはデイリー・プラネット紙記者。編集局からの「出動」も多い▼その人が新聞社を辞めるという悲報にうろたえた。おととい米国で発売された新作で、上役に「スクープが少ない」と叱られ、こう息巻いて職を辞したそうだ。▼作者によると、退社後は「現代的なジャーナリスト」として独立し、インターネットでの発信に挑むらしい。「新聞で人助け」とか言っていたのに、そりゃないぜクラーク▼1938年に登場した正義の異星人。一貫して新聞記者の設定で、作者が代わっても勤め先は同じだった。「勤続70年」の転職である。同業の目には無謀と映るし、ひがみ半分、いわば副業だけに気楽なもんだとも思う▼娯楽だと嘆いたのは場の勢いだろうが、新聞の暗中模索は米国に限らない。メールも携帯小説も同じ文字文化だから、課題は活字離れではなく、紙離れだろう。小紙を含め、有料の電子版が競う世だ。空さえ飛べる男が時流に乗るのは道理かもしれない▼記者としての彼の難は、スーパーマンが降臨するほどの修羅場で「突然いなくなる」ことだった。体が一つしかないのは当方も同じ、あれもこれもの器用さは持ち合わせない。ひそかな自慢が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい


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2012年10月24日 (水)

2012.10.24

10月24日の作品

<作品>

さるジョーク集より。「玄関の花瓶、ボクが割らないかずっと心配してたよね、ママ」「それで?」「もう心配しなくていいよ」――。国会を乗り切れるか危ぶまれた田中法相が辞任した。心配の種は消えたが、政権の信頼という「花瓶」は粉々だ▼献金や暴力団絡みの傷を持つ田中氏は、法の元締に適さないばかりか、答弁力も不安視されていた。国政より党内融和を考えてか、氏を重職に就けた野田首相も甘い▼民主党の惨状には目を覆う。解散怖(こわ)しで遅らせてきた臨時国会では、赤字国債、定数是正などの急務を片づけ、「近いうち」に信を問うしかなかろう。自民党も策を弄(ろう)する時ではない。席に着き、決めるべきは決め、言論で内閣を追い込むべし▼駆け引きに終始する二大政党を見るにつけ、いつにもましてまぶしいのは米大統領選だ。投票まで2週間、弁舌で鳴らすオバマ大統領に、共和党のロムニー候補が食い下がる。両者の支持率は拮抗(きっこう)し、3回の討論会はどれも白熱した▼最終回は外交がテーマ。アラブの春から中国の脅威まで約90分、現職がさすがの安定ぶりなら、挑戦者も得意の経済に引きつけて反撃を試みる。「ベスト2」の真剣勝負とは知りながら、つい永田町の「口べた」と比べていた▼しゃべりは政治家の生命線である。口だけでも困るが、わが国会が退屈なのは「ただの頭数(あたまかず)」が多いせいだろう。論戦力における雲泥の隔たりを思えば、日米で佳境を迎えたベースボールの実力差など、無いに等しい


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2012年10月22日 (月)

2012.10.22

10月22日の作品

<作品>

のちに「人類が核戦争の瀬戸際に立った13日間」と言われたキューバ危機から、半世紀がたつ。1962年のきょう、ケネディ米大統領はキューバ沖の海上封鎖を宣言する。ぎりぎりの緊張の中で米ソが核兵器のボタンに手を触れかけた、背筋の寒くなる現代史である▼大統領の弟、ロバート司法長官(当時)によれば、最大の難場で大統領の顔は引きつり、苦悩のため両目はほとんど灰色に見えたという。地球上の人々の生死に責任を負っているのを、ケネディは自覚していた▼もし引き金が引かれていたら、犠牲は米ソと欧州で最悪2億人を超えたともされる。「人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ戦争が人類に終止符を打つ」。よく知られるケネディの言葉は誇張でも何でもなかった▼時は流れて冷戦時代の幕は閉じたが、核廃絶への歩みは遅々として進まない。米大統領選でも議論の低調ぶりが伝わってくる。雇用などの内政に追われて「核」はテーマにも票にもなりにくいようだ▼しかし、2人の候補はずいぶん違う。オバマ氏は「核なき世界」の理念を掲げ、ロムニー氏は核戦力の維持と最新化を唱える。国威が衰えたとはいえ、この国のトップが、世界を左右しうる最たる人物なのは変わらない▼こと核問題に限らず、中東にせよアジアにせよ、自分も投票できたら、と思う人は少なくあるまい。そのことへの想像力を、どちらの候補が持ちうるか。選ぶ米国の有権者にも、世界への責任の一端がある


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2012年10月17日 (水)

2012.10.17

10月17日の作品

<作品>

売名が目的なら、ずいぶん安く売ったものだ。いや、高くついたというべきか。iPS細胞の「実用」で騒がせた森口尚史(ひさし)氏(48)である。「気鋭の学者」だったのは1日だけ。氏は手柄話の大半を虚偽と認め、たちまち怪人の扱いとなった▼山中伸弥教授にノーベル賞をもたらした万能細胞を、いち早く治療に使ったとすれば医学史に残る出来事だ。読売新聞が1面トップで報じ、共同通信が追いかけ、配信先の地方紙やテレビ局が伝えた▼うそと分かり、各社はおわびや検証に追われている。記者会見では、質問というより詰問の矢がぶすり、ずぶりと、しどろもどろの藪(やぶ)に突き刺さった。手術は6回ではなく1回、私は見学しただけ、証明は難しいと、発言は後退を続ける▼いずれボロが出る作り話を堂々と語ったのはなぜか。世間の関心は「治療」のてんまつより、森口氏その人に移りつつある。氏の研究には国も助成しており、後始末が大変だ▼多くの難病患者と家族が、iPS細胞に希望をつないでいる。だが、ここで拙速に流れては新技術に傷がつきかねない。病床の思いを誰よりも知る山中さんだが、さらに研究を重ねて万全を期す方針という。雑音に動じず、先を急いでほしい▼それにしても、待つ人の渇望、待たれる者の重圧や覚悟にお構いなしの、はた迷惑な一人芝居を見せられた。森口氏に転職をお勧めした上で、有名大学の肩書、専門家の威光、何より「旬のスクープ」に弱い、我らメディアの習性を戒めたい


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2012年10月11日 (木)

2012.10.11

10月11日の作品

<作品>

わが国での開催は48年ぶりとなる。国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会だ。14日まで、188カ国の財務相や中央銀行総裁らが世界経済のあれこれを論じ合う▼約2万人が来日するこの祭りに、中国はトップを送らず、大手銀行も欠席させるという。尖閣の一件を理由に、日本に恥をかかせる腹なのか。あらゆる機をとらえての意趣返しは、体ばかり大きい子どもを思わせる▼IMFは世界の成長見通しを引き下げた。ユーロ危機は長引き、日米の財政難は変わらず、新興国の勢いにも陰りが見える。こんな時こそ協調が必要なのに、大国の自覚はないらしい。せっかくの場をプロパガンダに使う粗雑さは、未熟な国内市場とも重なる▼中国では日本車の販売が失速した。9月はトヨタが去年の半分、日産やホンダも約4割の減で、ドイツや韓国の車が売れている。政府が不買を容認し、性能や価格で選ばれるべき商品が憎悪の的になる。悲しいかな、これが「世界一の新車市場」の現実である▼報復を案じてか、日本ツアーの解約も続く。心配ご無用、少数の嫌がらせはあったが、五星紅旗も中華街も安泰だ。国柄や民度に触れるまでもなく、それが世界の常識というものだろう▼経済規模で世界2位とはいえ、その源泉である13億人の所得格差は広がり、民主主義なき発展の矛盾は覆いようもない。官民あげての「愛国無罪」も、国際社会の評判を落とすだけである。とりあえず「大人の所作」を覚えよう、と難じておく。


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2012年10月10日 (水)

2012.10.10

10月10日の作品

<作品>

アラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」は、裕福な友になりすまして財産を狙う話だった。別人を装う点は振り込め詐欺も同じだ。こうした「世俗の悪事」に比べ、ネット空間の闇は底が知れない▼「歩行者天国にトラックで突っ込む」「伊勢神宮を爆破」。この手の書き込みは、業務を妨害した罪に問われる。警察は発信元のパソコンを割り出し、大阪と三重の男性をそれぞれ逮捕した▼ところが、2人のパソコンは同じウイルスに感染していて、何者かに遠隔操作で乗っ取られた疑いが濃くなる。真犯人は持ち主になりすまし、犯罪予告に及んだらしい。否認で通した2人は慌ただしく釈放された▼個人情報の流出ばかりか、愛機を不正アクセスやサイバー攻撃の踏み台にされ、濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着るなど御免だ。大阪の件は起訴され、裁判になるところだった。捜査側がよほど心しないと、不運な被害者は冤罪(えんざい)の責め苦まで負うことになる▼ネット上には日々20万種ものウイルスが放たれ、対策が追いつかないそうだ。生活感の乏しい部屋で、陰々と悪意を「培養」している輩(やから)に言いたい。人生は短い。他を陥れる暇と知恵があるなら、「自分の今」を楽しまないか▼ツイッターでは、時の人、山中伸弥教授の名をかたる者が「ノーベル賞キター」などとやっている。これはご愛敬としても、ネットに巣くう悪はドライなようで、じめっと嫌らしい。ホラー映画で人に取りつく悪霊やエイリアンのごとく、迷いなき狡知(こうち)にあふれている


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2012年10月 4日 (木)

2012.10.04

10月4日の作品

<作品>

おおらかな時代、野球場の周りには「ただ見の名所」があったものだ。ビルの屋上に人影を認めても、とがめる客などいない。しかし内野席やネット裏にかなりの「ただ」が交じると知れば、穏やかではなかろう▼3割近い世帯が払っていないNHKの受信料にも、同様の不公平感がくすぶる。10月からの初値下げは、払っている世帯の不満を和らげる「施し」だろうか。いかんせん不払いが多すぎる▼受信料の支払率は、今年3月末で72%台である。新たに公表された都道府県ごとの数字を見て、その地域差に驚いた。支払いの歴史が本土より浅い沖縄は42%で、6割近くが払っていない。次いで大阪57%、東京61%と続く▼逆は秋田の95%を筆頭に、島根91%、新潟90%など。これほどの格差を知れば正直者は収まるまい。NHKを見たくない人のためにも、払わなければ映らないスクランブル放送を望む声がある。球場でいえば、外からのぞけないドーム化だ▼財産の差し押さえなど、NHKの「取り立て」は厳しさを増し、空室や視聴時間に配慮してきたホテルチェーンに対しても全室分を求め始めた。3万4千室が未契約の東横インは、裁判で5億5千万円を請求されている▼増収や効率化と並んで、NHKの重い宿題は公共放送ならではの番組づくりだ。「Nスペ」的な深掘りや、かつての「プロジェクトX」のような教養系にこそ、お金と人を割いてほしい。ただ見は捨て置けないけれど、有料で見せられる凡戦もつらい


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2012年10月 2日 (火)

2012.10.02

10月2日の作品

<作品>

各地の水辺で旅鳥(たびどり)が観(み)られる季節である。北国で繁殖し、日本を経て越冬地に南下する渡り鳥で、チドリやシギの仲間が多い。国内でひと夏、ひと冬越す鳥たちに比べ、どこかお客さんのよそよそしさがある▼陸揚げされた岩国基地から、沖縄の普天間飛行場へ。しばし休んで飛び去る旅鳥のように、米海兵隊の輸送機オスプレイが渡り始めた。台風をやり過ごし、いよいよの「実戦配備」である▼住宅地にあり、世界で最も危険とされる基地に、墜落が続く新型機がたむろする。日本を守る約束には「沖縄を捨て石に」のただし書きが付いているかのよう。「頭に落ちてくる可能性があるものを、誰が分かりましたと言えますか」。県知事の怒りは当然だ▼軍用機に求められるのは、様々な「強さ」だろう。下界の平穏は、乗り心地や騒音と同じく二の次、三の次だ。日米両政府の安全宣言ひとつで、「安心」になるわけではない▼オスプレイの沖縄投入の背景には、中国の軍拡という要素もあるやに聞く。尖閣諸島をめぐる緊張と、かの国のあけすけな圧力は、安全性に対する心のハードルを引き下げた感がある。少し危なっかしくてもという「甘え」が、本土の国民になかろうか▼すぐ西には尖閣の島々、台湾海峡、中国本土。きな臭い東シナ海に、同じ臭いの渡り鳥が飛来し、有事の空気はさらに濃い。これを吸わされるのも沖縄の民だ。安保の負担に加え、外交のツケまで回され、日本という国に愛想が尽きても不思議はない


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2012年10月 1日 (月)

2012.10.01

10月1日の作品

<作品>

この駅に向かう列車はすべて上りとなる。「都(みやこ)でひと旗」の時代には、若い野心が全国から降り立ち、入れ違いに失意の背が車中に消えていった。百様の人生が、始発終着のそれぞれに揺れる▼汽笛一声新橋を……。明治期の鉄道唱歌がそう始まる通り、東海道線の起点は新橋、同じく東北線は上野だった。かたや、新宿から西へと進み続ける中央線は東にも延びていた。三線を束ねるべく、皇居わきの原っぱに東京駅ができたのは1914(大正3)年12月である▼丸の内の駅舎は赤れんがの3階建てで、「帝都の表玄関」を意識し、南北に300メートルを超す威容となった。戦災で失われた二つのドーム屋根や3階部分が、5年をかけて創建時の姿に復元され、きょう全面開業する▼屋根材には、大津波をくぐった宮城県産の天然スレートが使われた。美しさでも世界屈指の鉄道駅だろう。高層化しないことで生じる「空中権」を周りの新築ビルに譲り、約500億円の工費を賄ったと聞く。賢い投資である▼〈ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく〉。岩手出身の啄木の感傷は、往時の上野駅以外では成立しない。同様に、赤れんがの東京駅と切り離せない喜びや哀(かな)しみ、出会いと別れがある。積もった時だけが醸す存在感に、代役は見当たらない▼建造物の復元は、そこにまつわる無数の、そして無名の記憶を守ることでもある。人は記憶の辺(ほとり)にたたずんで、熱いまま捨てた思いや、砕けた夢のかけらを拾う


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