« 2012.12.13 | トップページ | 2012.12.18 »

2012年12月17日 (月)

2012.12.17

12月17日の作品

<作品>

年の瀬の恒例、東京は浅草の羽子板市が今日から始まる。その羽子板を〈羽子板や裏絵さびしき夜の梅〉と詠んだ永井荷風の一句がある。絢爛豪華(けんらんごうか)に仕上がった表に比べて、裏は淋(さび)しいと。裏絵も味わい深いのだが、表との落差ゆえ、荷風の目には沈んで見えたのだろう▼さて年の瀬の総選挙は、羽子板ならぬ政治の裏表を、1日にして入れ替えた。裏絵にまわった民主党は民意の嵐になぎ倒され、表に出た自民党は、勝利の上に「大」をのせて千両役者の舞い姿である。小選挙区制の破壊力、いまさらながら恐ろしい▼19年前のカナダを思い出す。単純小選挙区制のもと、政権党が前回獲得の169議席を何と2議席に減らして敗れ、首相も落選した。今も語りぐさの選挙を彷彿(ほうふつ)とさせる、民主党の負けぶりだ▼期待に応えられなかった責任は重い。とはいえ、小選挙区制がうっぷん晴らしの装置になっているようでもあり悩ましい。破壊力を恐れた政党が、ますますその場しのぎの国民受けに流れないか心配になる▼「負けに不思議の負けなし」と言う。だが「勝ちに不思議の勝ちあり」なのだそうだ。民主が前者なら自民は後者ではないか。一度首相を辞めた人が新味の薄い党を率いての大勝は、敵失などの「賜(たまもの)」と割り引く謙虚さが必要になる▼老舗の党である。内外多難の時代に経験と円熟を頼む人は少なくあるまい。だが政治課題の追い羽根をつき損なえば、再び大きな×を顔に塗られよう。億の目が舵取(かじと)りを見つめている


<感想>

今回の衆院選をなぜか羽子板に例えている。

羽子板は、そもそもゲームの道具なのだから、表は絢爛豪華にすることはできても、裏は羽根を打つためのものであり、それはムリな話。

というのはいいとしても、どうして羽子板なんぞに例えようとしたのか理解できない。

その後も、狂乱の余りなのか、意味不明な文章が続く。

まず、これ。

『破壊力を恐れた政党が、ますますその場しのぎの国民受けに流れないか心配になる』

「破壊力を恐れる」とは、選挙で大敗することを指すのだろうが、それを恐れた政党が「その場しのぎの国民受けに流れないか心配」とは、どういう意味だろう。

少なくとも、民主党は「民意」などまったく気にしなかった。

いや、彼らが気にしていたのは、「特亜3国」の民意であり、日本のことを考えたことは、おそらく一度もないはず。

しかも「その場しのぎ」ということさえ考えていない(鳩山さんは、コロコロと発言を変えていたけど、そもそも何も考えていないから)のだから、「ますます」という表現はおかしい

そして・・・

『「負けに不思議の負けなし」と言う。だが「勝ちに不思議の勝ちあり」なのだそうだ。民主が前者なら自民は後者ではないか』

天声人語子は、この後に及んで、自民党が大勝したことが「不思議だ」と思っているのだろうか。

よっぽど民主党が大敗したのが悔しかったのだろう。


さらに・・・

『一度首相を辞めた人が新味の薄い党を率いての大勝は、敵失などの「賜(たまもの)」と割り引く謙虚さが必要になる』

「新味の薄い」という形容詞をわざわざくっつけて、悪いイメージを持たせようとするのはわかるが、政党ってその都度「新味」がないとダメなの?

逆に、「新味」を表に出そうとした「維新の会」が伸び悩み、「未来の党」が惨敗したのは、なぜなの?

つまり、政治に「新味」なんてどうでもいい話。
ちゃんと仕事をしてくれれば、それでいいわけだ。

誰が考えたって、何ら仕事をしなかった民主党が負けるのは、当たり前の話。

それに「謙虚さが必要」などとエラそうに言っているが、すでに安部さんは、謙虚に受け止めていたではないか。

麻生さんなんて「これだけ自民党が勝つとは思わなかった。それほど民主党がヒドかった、ということだ」という旨のコメントしている。

まさにこの一言で十分だろう。


最後の文章『だが政治課題の追い羽根をつき損なえば、再び大きな×を顔に塗られよう』などは、もはや単なる「捨てセリフ」としか思えない。


« 2012.12.13 | トップページ | 2012.12.18 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1510045/48370580

この記事へのトラックバック一覧です: 2012.12.17:

« 2012.12.13 | トップページ | 2012.12.18 »

フォト