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2013年3月11日 (月)

2013.03.11

3月11日の作品


<作品>

歳月は気まぐれなランナーに似ている。のんびり流しているかと思えば、一転、歩を速めて移ろいもする。ひと続きの時の大河に、私たちのささやかな命は浮き沈み、現れては消える。震災被災者にとって、恐らくは激流のような2年が過ぎた▼いや、時は止まることもある。宮城県名取市の会社員、桜井謙二さん(38)の悲嘆を本紙で読んだ。妻(当時36)と長女(同14)次女(同10)を、マイホームもろとも津波に奪われた▼「みんな復興へと動いている。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっています。そんな気持ちを口にすることも難しくなっている」。自宅跡の更地にたたずみ、3人との日々をただ感じているという▼〈そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべて終わったと知ったあとにも/終わらないそのあとがある〉。谷川俊太郎さんが先ごろ、本紙夕刊「今月の詩」の最終回に寄せた「そのあと」だ。絶望を生き抜く者への励ましが、静かに胸に迫る▼〈そのあとは一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている/そのあとがある/世界に そして/ひとりひとりの心に〉。桜井さんの時間も、やがて、ゆっくりと動き始める▼先は見えない。だが見えずとも先はあって、被災者も、寄り添う国民も「そのあと」を生きてゆく。犠牲者は「私たちの分まで」と声をからしていよう。三回忌を区切りにできる人ばかりではないが、今は前を向きたい


<感想>

歳月を例えるのに「気まぐれなランナー」というのはどうなんだろう。

よくわからないけど・・・


人生を例えるのならともかく、歳月は人に関係なく「淡々と流れている」はずだ。

それを「速い」と思うか、「遅い」と思うかは、人それぞれ。

ただ、歳月は「常に」流れている。

止まる時は、その人の人生が終わる時。

ここまではいいと思う。

だけど「気まぐれなランナー」であれば、途中でやめてしまって、また再開ということだってあるだろう。

でも、その人にとって、歳月は止まってしまえば、それで終わりだ。
また走り出すことなどない。

だから、何か違うような気がする。

あと・・・

歳月は「コースをはずれたりすること」なんかないだろう。

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